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30人を殺した昭和の“無敵の人”──史上最悪の大量殺人事件「津山事件」とは?

世間を騒がせた事件・事故の歴史

 

凶行の準備

 

 1937年、都井睦雄はそれまでには見られなかった行動を取り始める。狩猟免許を取得し、散弾銃を購入したのだ。翌年には、この銃を下取りに出し、 5連発を9連発に改造した散弾銃に買い替えている。銃を手にした都井は頻繁に山に入り、射撃の練習を行っていた。また、銃だけでなく日本刀や匕首(あいくち)などの刃物も集めていた。

 

 あるとき都井は、体調を崩していた継祖母のために、薬を入れた味噌汁を用意した。しかし、祖母は、毒を盛られたと思い込み、「孫に殺される」と周囲に訴える騒ぎとなる。通報を受けて家宅捜索が行われ、所持していた猟銃のほか、日本刀や短刀などが押収された。この一件を機に、猟銃の所持許可も取り消されることとなった。善意からの行動が、身内に悪意と受け取られた。家族との絆が断ち切られた瞬間であり、都井のなかにあった絶望感は、さらに深く刻まれた可能性が高い。

 

 その後、都井は知人の名義を借りて再び猟銃と弾薬を入手していた。日本刀や匕首についても、刀剣愛好家や骨董商などを通じて譲り受けていたとされる。武器を再び揃えた都井は、射撃訓練を再開していた。さらに、事件の直前には、村の送電線の場所を確認し、切断の方法を検討していたとみられる。隣町の駐在所まで自転車で往復し、その所要時間を測っていたという証言もある。これらの行動は、警察による捜査記録や近隣住民の証言により確認されており、都井が犯行を計画的に準備していたことをうかがわせる内容となっている。

 

無施錠と夜這いの風習

 

 1938年当時、都井が暮らしていた集落では、夜間に戸を施錠する習慣がなかった。家々の多くはなんらかのかたちで親戚関係にあり、外部からの侵入を警戒する意識は希薄だった。くわえて、この背景には、当時の農村の一部に残っていた「夜這い」の風習がある。男性が深夜に女性の家を訪れ、布団に入り込むという行為が平然と行われていた。女性に拒否権は認められにくく、声を上げることも憚られる、極めて男尊女卑的な性規範であった。

 

 こうした村の慣習と家屋の構造を理解していた都井睦雄は、事件当夜、11軒に侵入し、戸を開けて寝室に入り込んだが、住人が大声を上げて騒ぎになるとも限らなかった。津山事件は「閉ざさない家」と「声を上げにくい文化」によって可能になっていた。

昔の民家(イメージ)/AC

 

 

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ミゾロギ・ダイスケ 

昭和文化研究家、ライター、編集者。スタジオ・ソラリス代表。スポーツ誌編集者を経て独立。出版物、Web媒体の企画、編集、原稿執筆を行う。著書に『未解決事件の戦後史』(双葉社)。

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